神門ぺぷし闘魂創作日記

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zoom RSS 藤堂志津子で描写の勉強「熟れてゆく夏」

<<   作成日時 : 2006/09/20 09:36   >>

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 海沿いの町にきてから三日目、眼ざめと同時に律子は寝台からとび降りた。足裏に深々とした絨毯の感触が快い。頬に垂れてきた髪のあいだから昨夜洗い残っていたらしい潮の匂いが流れでる。たっぷり眠ったあとの爽快な夏の朝。九時半。
 窓際へと歩みよる。両手で白い二本の紐をあやつってブラインドを捲きあげてゆく。あかるい灰青色の蛇腹はおもしろいほどするするとたたみこまれ、その下から矢つぎばやに眩しさの飛沫がなだれこんできた。
 昨日よりまたいちだんと強さをたぎらせてきた七月の光。さい先のよい二日つづきの快晴。一気にブラインドを引き絞る。

★藤堂志津子「熟れてゆく夏」の出だしである。描写表現でありながら、きちんと情報を提供している。体言止め多いけどリズム感があるから許せるのだろう。不要な主語を省いている。

 また今夜も、夢の扉を開ける。私は、夢子の家の前にいる。回遊する夢の始まりと終わり は、いつも夢子の家だった。いつの頃か、同じ夢を見るようになった。そこには現実とは違う妻がいた。夢の中にいる妻のことを仮に夢子と名付けた。夢子のそばにいると、なぜか心が落ち着く。いや、そんなことはない。心が、ときめくと言ったほうが正解だ。彼女に会いたくて、今日も夢の中へ出かけてきた。
 どこかの街の片隅に平屋の家がある。ガラスの入った格子の引き戸のある玄関、表札の名前を見るのをいつも忘れてしまう。郵便受けの新聞や手紙を確認することは忘れないのに、なぜだか表札は見ない。この家の持ち主はわからないが、たぶん私の家なのだろう。古めいて懐かしい家だ。時代から取り残された路地裏にありそうな家、そんなところに、ふと迷い込んでしまった。引き戸のガラスに、私が写っていた。濃紺の背広を着て真紅のネクタイをつけて髪が長い。夢の中の私は、いくつだろうか。現実よりは十歳以上は若いようだった。三十代後半から四十代前半といったところだ。

★いま書いている途中の「夢の中の夢」の出だしである。人称の問題もあるが、描写でなく説明になっている。一人称で描写にするには??? 三人称にしてみようか? 

 わずかに開いたドアの向こう、白色蛍光灯のあかりの下に、純二の裸が見える。真っ白いブリーフ一枚きりの恰好だ。顔はドアにかくれている。耳に当てている受話器も見えない。茶色いほくろのある胸も、腹から膝にかけての起伏も、ことごとくドアの厚みと幅に断ち切られている。わたしの目が探ってゆけるのは後背部、しかも左側面だけだ。
 わたしは寝室のベッドの上にいる。背中を壁にあずけ、毛布を胸まで引き寄せ、ブランディを舐めつづけている。ベッド脇にのテーブルには和紙を使った雪洞型のスタンドがともされ、そのまわりだけ闇が黄ばんでいる。

★「熟れてゆく夏」のなかに収録されている「三月の兎」の出だしである。こっちは一人称だけど、やっぱり描写できている。うまい、思わず続きを読んでしまった。純二が電話している相手は、主人公と純二の友だちの女性礼子である。礼子は純二の元の彼女だった。最初から読者をひきつける。どうやって読者をぐいぐいとひきつけていくか・・・それが筆の力なのだろう。こうやって並べてみると、私の作品は、情報が不足していることがわかる。もっと少ない文章で的確に読者をひきつける語句を用意しなければならない。

*教訓その1.「うまい描写は、説明できている」「下手な説明は、描写ができていない」

 

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